うっそー・ホント!その2

東高校の図書館から発行している図書通信に載せているコラムです。不定期に更新していきます。

 前回は「遠足」だったが、今回は「修学旅行」の話題で。

修学旅行に出発したら、帰ってこられたのは何と25日後だった!
 現在、私たちはコロナウィルス禍の真っ只中にいるが、特に感染症については修学旅行中に起きたあの不幸な事件について触れなければならない。生徒諸君の祖父母の世代の方々ならきっと思い出すだろう。
 それは、昭和41(1966)年、ひがし20回生の修学旅行でのことだ。11月8日に出発した一行は2日目に徳山の「丸福旅館」で食べた昼食が原因で集団赤痢に見舞われたのだ。ホテルは新館と旧館に分かれており、新館で昼食をとった1組から4組の生徒たちにその災厄は降りかかった。その日の宿泊地岡山に到着してから一斉に発病し、夜には80名を超える生徒が次々と腹痛や下痢の症状を訴え、往診した医師の手当てを受けた。まさに修羅場と化した状況は想像に難くない。翌日、異変のあった1組~4組は宿に残り、5組~12組433名(当時1学年は12クラスもあった)は日程通り旅行を継続して12日無事に帰豊した。一方岡山に残された一団は検査の結果赤痢に感染したことが判明し、
183名もの生徒が岡山保健所の指示で岡山病院と旧産院に分かれて隔離されることとなった。修学旅行中の宿泊施設並びに昼食等の安全については、当時も事前の手続き等で万全を期していたはずで、全く予期しない災難と言わざるを得ない。        
 一方、集団感染及び隔離措置の連絡を受けた学校は状況の把握や家庭への連絡等でこれもまたパニック状態であっただろう。この事は新聞やテレビニュースでも大々的に報道され大変な事件になっていた。学校では早急に保護会を実施し状況報告とその後の措置について協議を行い、16日にはトラックで衣類、教科書等を岡山へ送った。生徒の健康状態が安定し隔離生活が落ち着くと学習の遅れを補うため、1日4時間の自習指導が行われ、夜は自習と教育テレビでの学習が進められた。そして長い長い隔離生活が終る12月2日、退院の喜びを噛みしめた一行は豊橋を出発して以来、実に25日目にしてようやく隔離生活から解放され帰途についたのだった。
赤痢菌は大きくAからDの4種類に分けられる。A群赤痢菌(1897年志賀潔が発見)が最も重篤化するが、生徒たちが感染したのはD群ソンネ(ゾンネ)菌で、軽い下痢・軟便や微熱のみで経過することが多く1週間程度で回復する。しかし、当時はコレラやペストと同様、法定伝染病に指定されており、拡散防止のために隔離措置の必要があった。(2008年法改正で三種感染症に変更、現在強制隔離措置はない)
 隔離中の生徒たちの写真を見ると、その表情はいずれも明るく笑顔で、赤痢感染による隔離生活という理不尽で不自由極まりない状況下にあるとは微塵も感じさせない。「辛い時こその笑顔」なのか?周りの大人たち、特に帰りを待つ家族たちを心配させまいとする心情が笑顔にさせるのか?しかし、最高に楽しい思い出作りのはずが、伝染病による隔離生活を強いられた生徒たちは本当に心細く悔く、やり場のない怒りや惨めさが生徒たちの心の中に満ち満ちていたに違いない。


コロナ禍からも何かを学び取り、明日への希望に繋げ!!  
 ここで、1966年12月発行の広報誌「ひがし」No.104に掲載された、深谷直子さん(当時高校2年生)の「青春の一頁に」と題する隔離生活中の心情を綴った秀逸な作文があるのでその一節を紹介する。
 『皆外面はこの上なく楽しそうに笑いますけれども、内面は寂しく悲しくてたまらない。でも私は寂しいというよりは今まで考えもしなかった新しい世界の魅力(とまではいきませんがそういうものに)ひたっているのが現状です。この共同生活を有意義なものにしたい。そうあればたとえ高校生活唯一の思い出である修学旅行がこのように無惨に終わっても悔いはないのです。(中略)…。もう一つ最後に書きたいことは、このような生活は確かに空虚さを免れることはできませんが、ただ流れに任せて進んで行くとしたのなら、それは青春時代の一部の空白になるくらいの損失だと思うのです。何でもいいからとにかくこの時期にしかできないことをして、実り多いものにしたいと思います。この経験が将来何らかの形で役に立つことを念じて、青春時代の1頁にいつまでも良き思い出として大切に保存したいと思います。(原文一部省略)』 

 修学旅行での赤痢感染と長期間の隔離生活という自身に降りかかった不幸さえも自分の成長や明日への希望の糧としてとらえ、今を大切に生きようとする覚悟が読みとれる。これは、時空を超えて君たち生徒諸君に送られた励ましのメッセージではないかと思う。
 その後、学校としても赤痢禍を切っ掛けに修学旅行の全面的な見直しが進められ、次年度からは夜行列車をやめて新幹線往復利用(県下初)する、生徒の自主的研修旅行と位置づけ見学コースを生徒が自主的に決める等々、何項目にもわたり時代に先駆けた抜本的な改革が行われた。
 今回紹介したのは半世紀以上も前のことだが、令和の時代にコロナ禍の中を生きる我々にも多くの示唆を与えてくれる。今我々に課された課題は、「コロナ禍から何を学ぶか、そしてそれを如何に未来への希望に繋げるか」なのだ。改めて歴史に学ぶことの大切さを痛感し、先輩方が幾多の困難を乗り越え積み重ねてきた「ひがし」の歴史の厚みと奥深さに感謝したい。。

 


感染発生

隔離生活の様子


隔離生活の様子

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